あのね帳

長めの独り言

真ん中で煌めく

 松村北斗さん。北極星を示す北斗七星のように、誰かの道しるべになる人。輝きを見つける人。そして輝きを放つ人。お誕生日おめでとうございます。

 

 北斗くんのことが好きです。好きという言葉以外に、もっとこの気持ちを詰め込むのにぴったりの容れ物があるんじゃないかと思いつつも、未だ出会えていません。かつて漱石が”I love you”を”月が綺麗ですね”と訳したというエピソードがありますが*1そんなロマンチックな表現をするすると引き出してくることはできないのです。いや、まあ、愛してるとか離したくないとか食べちゃいたいとか、他にも言いようはあるのでしょうが...ともかく今回は、お誕生日に託つけて“好き”の中身の話をしようかなと思い久しぶりにブログを開きました。投函する予定のない手紙というのはなんでも書けるようでいて、妙に照れくさいですね。ですが恥ずかしいことを思い切り振り切ってやるのもオタクの醍醐味ということで、悩み悩み書くこととします。“好き”の中身の全てを文字に起こすことは難しいけれど、とりわけきらきらと目に映るものを幾つか取り出してみようと思います。

 

 まずひとつは言葉。たとえば、“一生”や“ずっと”という言葉を惜しげもなく使うところ。何十年後という話をごく自然に、当たり前のようにするところ。遠い未来に言及される度にこそばゆいような苦しいような複雑な気持ちを抱きながらも、そんな言葉選びからこぼれだす素直さに惹かれます。わたしは北斗くんがそう思い口にする瞬間があったということをこの先忘れずにいたいし、こっそり大事に取っておきたい。何かの終わりについて考えることは今はまだ先延ばしにさせてほしいけれど、いずれその時が来ても宝物であり続けてくれる言葉たちだと感じています。もちろん魅力は言葉選びだけではありません。紡がれる文章には不思議な引力があって、言葉が元々持つ意味を絞り込んだり拡げたりと多様な面を見せながら思考の奥へ導かれるような感覚がくせになります。北斗くんの頭の中と自分の頭の中にある考えがぐるぐるして混ざったり分離したりする面白い後味が、もうひと口、とまた手を伸ばすきっかけを作っているのかもしれませんね。言葉を捏ねくり回し始めたのは臆病が故だと話していたことがありましたが、それは結果として優しさになると考えたりもします。意識して思考のフィルターを通してから話すことは、言葉に力を宿すと同時に受け取る人への思いやりに繋がっているのではないでしょうか。様々な媒体で見せる色とりどりの語り口とその後ろに一貫して存在する思考することへのこだわりが松村北斗というアイドルの輪郭を浮かび上がらせているようで、いつも夢中になってその言葉を追いかけています。

 

 それからお芝居。北斗くんは、場の空気を吸い寄せるように纏うことができる人だと思います。「背景も光も自分も、それぞれに同じひとつのパーツと捉えて、作品の中の一部になる」意識を常に持っているとのことなので、そのバランス感覚のなせる技なのでしょう。だからただそこに居る人で在ることがごく自然で、まわりの人や物と、作品の世界と溶け合っているのかもしれません。時々ブログやラジオで教えてくれる日常のちょっとした出来事への眼差しが、演じる際の表現に繋がっているのかなと想像したり...生活と地続きの匂いや空気感を保ったまま画面に居られる軽やかさがあるからこそ、どんな役でもしっくりと馴染むのだと思います。感情を滲み出させる佇まいや表情の移り変わりからは目が離せないし、まだまだ色々な顔を見てみたい。俳優としてのお仕事において得る経験や人との出会いを通してこれからの北斗くんが一層輝きを増すのだろうと思うと本当に楽しみです。

 

 そしてステージでのパフォーマンス。北斗くんのことを紛れもなく好きだと確信したのはここでした。少し鼻にかかる柔らかくて湿度の高い歌声。新曲披露の度に磨きがかかる、ピンと張られた細い糸を弾いて少しだけ緩めたような細かい揺らぎを含む高音と、重なってくるメンバーの声を支える幅をもったふくよかな低音。演じ分けるように楽曲によって違う声の表情を魅せてくれるところに毎回心底うっとりしてしまいます。踊りについては躍動感たっぷりの身体の動かし方はもちろん、くるりと翻したり振り下ろしたりはためかせたりと、衣裳の扱い方にも目を奪われます。内から見た自分と外から見た自分の両方と向き合った人だけができる表情。見せては隠す、隠しては見せるというバランスの取り方が絶妙な観客やカメラへのアピール。時に激しく時に静かに迫ってくるエネルギーに全身を包み込まれるような、グラグラと揺さぶられるようなパフォーマンスに虜になるのにそう時間はかかりませんでした。 

 わたしがSixTONESを応援し始めたのは2年と少し前のこと*2ですが、北斗くんにビビビときた瞬間は今でもはっきりと覚えています。2019年10月28日、グランキューブ大阪にて開催されたRaugh xxxxxxに行った時のこと。散々悩んだ末やっとの思いで選んだうちわはその人差し指に撃ち抜かれ、大切な1枚目になりました。パフォーマンス中もMCタイムも、ステージから去り見えなくなる最後の最後まで、ひとりの人にこれほどまでに釘付けになったのは生まれて初めての経験でした。

 この時からずっと心を奪われたまま、まあ、もう返してもらう気もありません。

  ある時、自分にキャッチコピーをつけるならと問われた北斗くんが「SixTONES最後の男」と答えたことがありました。「あとひとり誰だろうと思ったらそれが多分僕です」と。わたしからすればいのいちばんに心を持っていかれた男だったので、またまた謙遜して...なんて思っていましたが、それは別として“最後”という言葉の響きはどこかしっくりくるようにも感じます。わたしは好きな人*3が増える質なのですが、北斗くんを好きになった時直感的に、この人が最後だ、と思ったから。きっと本当にそうなると思います。

 

 北斗くんは自身のことを「特別な人間じゃない」「都合のいいストーリーは持っていない」と言います。もしかするとそれは、持ち合わせた強運や偶然によってではなく、必死に踠きながら自らの手で結果を掴み取ってきたという自負でもあるのかもしれません。そしてその掴み取ってきたものの中には“誰かにとっての特別”があることも、知っているのだろうとは思います。でも敢えて、わたしの特別な人!と言い続けたい。「キラッキラの真っ赤な衣装を着た、ロン毛を染めている、程よくチャラい、甘い顔で甘いことを言う、アイドルグループのセンター」ではなく「真っ黒な衣装を着た、真っ黒な髪で少々きついこと言うアイドルグループの端」である、かなわなかった夢のその続きを確かに生きている、そんな北斗くんがわたしにとっては特別なのです。ネガティブ由来の強さも魅力もあるけれど、沢山の人に愛されていることに関しては自信満々でいてほしいなと、勝手なので思ってしまいます。

 バラバラの個性を持った6人組、北斗くんが愛してやまないグループのひとりひとりを好きです。全員まるっと愛おしい。でもやっぱりあなたが、どんな衣装を纏おうとどの立ち位置に居ようとあなたこそがいちばん輝いて見えて、わたしの真ん中なんだと思うのです。本当にどうしようもなく北斗くんのことが好きです。

 

 

 日頃140字の中でひしめき合っている思いをこんな日ばかりはこぼれさせてしまってもいいかな、と書き始めましたが、もうすぐ日付が変わってしまうのでこの辺りで一旦閉じようかと思います。

 

 普段アイスクリームを我慢しているあなたも、少し特別な今日という1日の終わりには“おめでとう”でお腹をいっぱいにして眠ってほしいなんて願ったりしています。忙しい毎日にひとつでも多くの幸せがありますように。心も身体も健やかに過ごせますように。26歳のお誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう。

 

 

 

*1:正確には彼がそう言ったという記録が残されているわけではありませんが、それはここでは問題ではありませんね。

*2:CDデビューの際、おおまかな経緯をブログに書いています。▶︎雨に打たれて - あのね帳

*3:担当や推しという言葉が身体に合わないため便宜上そう呼んでいます。恋愛対象とは別なのですが、好きであることに違いはない!ということでお許しを...。