あのね帳

長めの独り言

眩い

 古語においては、「かげ」という言葉には「ひかり」という意味もある。

影なのに、光?光なのに、影。中学生の頃だろうか、その意味を習った当時はそれがどういうことなのかあまり理解できなかったけれど、なんだか今は少しだけ分かる気がする。

 暗いかげと明るいかげ、両方の存在によってはじめて輪郭が生まれる。真っ暗な闇のなかでも、真っ白の光のなかでも、もののかたちを目で認識することはできない。そういう意味で影と光は、反対のようでいておなじ。要はどちらを影と捉えるかという話なのだ。

 

 アイドルは一般的に、「キラキラしている」と形容されることが多い。たしかに彼らは一人ひとり自分だけの、そして其々のグループが自分たちだけの輝きを放っている。見ている人に元気を与え、時に誰かの希望にさえなる。これが主にスポットを当てられる「明るいかげ」の部分だ。でもそれだけではない。人知れず不安や迷い、焦りを覚えることだってきっとあるだろう。たまにそれを溢して、見せてくれることもあったりする。あえてこちらを「暗いかげ」と呼ぶとすると、両者が同時に存在することでそのひとの輪郭がくっきりと浮かびあがり、見ている「目」の側で人物像がかたち作られてゆくのではないかと思う。

 わたしは今ここで、好きな人たちに苦労してほしいとか、つらい経験を表現に落とし込むことこそが美しいとか、決してそういうことが言いたいわけではない。苦しい時間なんて、短ければ短いほど良い。笑っている瞬間が、一秒でも永く続いてほしい。ただ、ふたつの「かげ」に心を寄せたとき、目映い光の正体がちらりと覗いたような、そんな気がしたというそれだけだ。